というわけで、Twitterで行いました「白衣性愛情依存症感想」企画の
最優秀賞の方からの要望SS、公開します。
こちらも、白愛未クリアの方が読むとネタバレ全開ですので、
そういう方は回れ右!でお願いしますね。
改行多めで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

白愛感想コンテスト・最優秀賞賞品SS   著・向坂氷緒 

 

 

*****

刺されるのにも慣れます(笑)そりゃ、あんなに刺されてたら(笑)

なんの話って、これは夏の蚊の話でもなんでもなくて、残念ながら女と女の話。それも結婚してる二人の話………………笑えない。

これは、わたしときょうこの話。きょうこの妊娠初期の頃の。

そして、正しくは『刺されるの』じゃなくて『刺されそうになるの』だった。まぁ考えてみればただでさえ妊娠初期はイライラするものだし、それでなくてもきょうこは2度も臓器移植を受けてて、決して母体として万全なほうじゃない……という話は事前にさんざんしてた。さんざん。

うん、大事なことだから。子作りしよってなったときに。

でも、頑としてきょうこは聞かなかった。

――私が産むわ。

娘を。“さくや”って名付けようって決めてた、わたし達の娘を。

自分が産む、きょうこはその一点張り。理屈もなにも言わず、ただただその豪華一点張り。こちらの説得はまったく聞かず、人の言葉がわからない動物みたいな……いや、動物のほうが、まだ心と心で通じ合えるんじゃないかって気もする。

それくらい、きょうこはわたしの言葉を跳ねつけてくれた。二人暮らしのマイホームのリビングで。真顔で。

笑顔ゼロで。

――や、だからさ、きょうこ。わたしだってね……。
――私が産むわ。
――い、いやいや、ちょっと聞いてよ。わたしだって、きょうこの意志は尊重したいよ。したいんだよ? でも……。
――私が産むわ。
――でも、きょうこの体のこと考えたらさ。わたし、ほら、頑丈だし。
――私が産むわ。
――お願いだから聞いて。わかってよ。わたしはきょうこのことを心配して……。
――私が産むわ。
――……むー、もう、わからずや。わかった、また話そ、とりあえず今日は。
――私が産むわ。
――いや、だから、今日はもうやめよって。わたし、お風呂にでも……。
――私が産むわ。私が産むわ。私が産むわ。私が産むわ、私が産むわ私が産むわ私が産むわ私が産むわ私が産むわ私が産むわ私が産むわ私が産むわ私が産むわ私が産むわ私が産むわ私が産むわ私が産むわ私が産むわ私が産むわ――――――
――いやああああああ!>< わかった、わかったから! きょうこが産んでいいから! 降参降参、こわいよ!

ホラーでした……。呪われるかと思った(本音)

――わかればいいのよ。

心が折れたわたしにきょうこは言った。それが当然としか思ってない顔で。
嵐みたいな結婚生活の果てに辿りついた、子作り計画だけど。わたし達の心はまだまだぶつかってばかりで。
半分リビングの床にへたりこんでいたわたしを見下ろして、きょうこは、

――健康しか取り柄のないあなたなど、せいぜいブラックに働いてしっかり家にお金を入れてくれればいいのよ。それ以上は望まないわ。
――ぶ、ぶらっくは勘弁してほしいなぁ……。
――安心なさい、あなたに迷惑はかけないわ。

そう言って、澄まし顔で、涼しげに笑うきょうこは、なんだかさくやと重なって見えて。

ともかく、そんなふうにして、どちらが母体となるかはきょうこに軍配が上がって(まぁわたしが武田家の人間に頭が上がらないなんて決まってたようなもんです)無事、子種を仕込むところまではつつがなくいって。……や、そこは詳しくは伏せます、はい////

なんで自分が産むことにこだわったのか教えてくれなかったけど、きょうこは幸せそうだった。穏やかで、まだ膨らんですらいないお腹を、なにかというと優しく撫でていて。

――あなたも触れてみたいの、じゃ、一回1000円でどうぞ?

まぁその程度のおふざけなんて、きょうこにしちゃ優しいもので。家の中が、普段より明るくなってるような、そんな空気で。

きょうこの妊娠が確定したときには、即、なおちゃんからは☆マークがいっぱいの、いつきさんからは半分茶化すようなお祝いメールが届いた。そして翌日には二人から妊婦さん用グッズやら、気が早いことに紙おむつやアヒル型のおまるなんかが届いた。

おまるに添えられてた、いつきさんからのメッセージカード『ヌケ子の血を引いてんなら、どこでもお漏らしするガキになりかねない。気をつけろ!』って……相変わらず失礼すぎる、あのお洒落メガネ。

なにがツボに入ったのか、きょうこはしばらく肩を震わせて笑ってた。

 

でも、そんな幸せな期間はほんの、ほんのわずかで。

 

きょうこの体に妊娠初期の症状が……つわりが始まったその瞬間から。

わたし達の生活は塗り替えられた。一変した。ある意味、元に戻った……とも言えるけど。きょうこは一日中イライラしてるようになって、食欲もなくなって、話じゃ酸っぱいものが食べたくなるらしいのにそれすら口にしたくなくて、でも、お腹の中の子供のためにって味の薄い料理を一生懸命に食べて、ほとんど戻してばかりで。水を飲むのにも苦労して。

――つわり、しんどいようなら入院するって手もあるよ。

そう言ったわたしへの返事は、殺気あふるる包丁での一刺し。

――あなたに迷惑はかけない、病院の世話にもならない。放っておいて。

言ってることは勇ましいし、やってることは物騒だった、けど。

本調子のときのきょうこの包丁さばきは、鋭く、まっすぐ、わたしの腹部を最短距離で刺しにくる鮮やかなものなのに。そのときの一刺しは大振りで、狙いもぶれてて、不格好なスイングで。わたしは動かなくても、体に掠めることもなくて。きょうこの体調が最悪だってことが、嫌でもわかった。

(あんな、鮮やかで鋭かったきょうこの包丁さばきが……!)

なんて軽くショックを覚えたほど。いや、それもどうだろうとは思いますけど。ええ。

――も、もうちょっと、協力させてよ。いい、わたし達っっ、夫婦なんだよ――――――っ!!

伝家の宝刀『夫婦アピール』を繰り出すわたし、ですが。

――知ったことではないわね。

鼻で笑われました。伝家の宝刀、通じず…………。

だから、わたしにできるのは。できたのは。

きょうこに拒まれないぎりぎりの範囲で、なるべく陰ながらっぽくサポートすること。まず、勤務先の病院には事情を話して休暇をもらって、きょうこには足のケガでって嘘をついた。だから、わたしはケガなんてしてない足に包帯を巻いて生活してた。

そのうえで、きょうこより常に絶対先に起きて、常に絶対後に寝るようにしてた。きょうこになにかしてあげるときは、まず自分の用事をでっち上げて、そのついでにって、そんな感じにしなきゃいけなくて。

こっちに心を許してない、油断するとすぐ噛みついてくる猛獣(ええ、猛獣です)と同じ檻に入って四六時中一緒にいて、隙を見てお世話する……みたいな。うん。大変だ、なんて思う余裕すらなかった。ただただ必死だった。幸いだったのは、猛獣=きょうこも弱ってて、牙=包丁が大して脅威じゃなかったこと。

ストレスからか振り回すこと自体は増えてたんだけど。

それでも――。

ある日、きょうこが起きてるのにソファでうたた寝しちゃって、はっと目覚めたとき。
わたしの頭の真上で。
きょうこがギラリと光る包丁を振りかぶっているのを見たときは、さすがに肝を冷やした。

(わたし、死んだぁ!)

って思った。正直。

……きょうこが振りおろした包丁は、わたしの耳を掠めて、ソファに突き立っただけで済んだんだけど(ソファは買い直しました)

ずっと、そんなだった。自分の体が万全じゃないこと。わたしの手なんて借りたくないのに、借りざるを得ないこと(ケガの嘘はすぐバレた)母体としての自分への不安、お腹の中の赤ちゃんへの申しわけなさ。そんなことに、きょうこは自分で自分を責めてたんだと思う――。

ううん、そう思っていた……んだけど。

そろそろ、初期妊娠の時期も終わろうかって頃。

なのに、相変わらずきょうこは酷いつわりに悩まされてて、わたしへの刺傷行為が増えてて。多いときは、一時間に一回ペース(ほんとの話)放ってても当たらないとわかってても、わたしのストレスも甚大で。なにせ猛獣の檻ですし。

なんだか、いつも、常に、寝てても起きてても、頭がぼーっとするようになってて。

あのときは。

たしか、ソファに座って、どんな理由をでっち上げて、わたしがきょうこをお風呂に入れてあげようかって考えた、と思う。そして、きょうこは大事なお守りを握りしめるみたいにして、包丁を胸に抱いて、わたしと同じリビングでカーペットの床に座ってた。

わたしはぼんやりと天井を見上げてた。

思考を働かせてるつもりで、でも全然頭は動いてなくて。

(理由、理由、きょうこが上手く納得してくれる理由……考えなきゃ……)

ふわっと、なにか風みたいなものを感じた。風というか、気配というか。かすかな空気の動き。きょうこが動いたんだ、と思った。ああ、またわたしを刺そうとするのか、動くの面倒くさいな、どうせ当たんないし放っておこうって――思いながら。

ちらっときょうこの方を見た。

 

自分のお腹を刺そうとしてた。
きょうこが。
愛用の(柄に可愛いリボンを結んである)包丁を振りあげて。
今まさに、振りおろそうとしてて。

 

自分のお腹めがけて。そこにいる赤ちゃんめがけて。

(え――――?)

自分が見てるものが信じられなかった。
瞬間、本能的に止めなきゃ! って思った、けど。腰が抜けたみたいに体が起き上がらなかった。声を出さなきゃって思ったけど、声も出なかった。

「ゃ――――」

掠れた一音が漏れただけだった。きょうこの苛烈な声にかき消された。

「こんなものが! こんなものが、私の中にいるから! 私は――――――……!!」

きょうこが包丁を振りおろす。わたしの手は届かない。やめて! と思いながら見てるしかない。

悲劇を。

「はいっ、そこまで!」

――誰かが。

誰かの手がきょうこの手首を掴んだ。誰かの声がきょうこを制止した。わたしの目はその誰かを見ていたのに。ぎりぎりのタイミングでリビングに駆けこんできて、きょうこの包丁を止めた誰かの姿を視界に収めていたのに。すぐには、それが誰かわからなくて。

ほんのちょっぴり、わたしより高い身長。
二つ括りにしたきれいな黒髪。髪を結わえてる、可愛いリボン。
きょうこの手首を掴んだまま、ふり返って言った。

「お待たせ、お姉ちゃん☆」

なおちゃん、だった。

「え、……なお、ちゃん…………? なんで……?」

だって、呼んでない。もうしばらく連絡もとってない。頭から抜けてた。だから、わたしは呆然として、そう言うしかなかった。わたしの声に、なおちゃんはちょっと怒るみたいな顔をして(もちろん、本気でなんか怒ってない、演技だってわかる顔で)、

「なんでって、当然じゃない。見くびらないでください、お姉ちゃんの妹を」

なおちゃん、にっこり。
わたし、まだ呆然。
だから、次に声を出したのは、わたしじゃなくてきょうこだった。氷みたいに冷えきってて、でもドロリとした声。

「……離しなさいな、この手を。邪魔しないでちょうだい」
「だーめ、離したらお痛するでしょ、あなた」
「私の体よ。私がどうしようと、どう傷つけようと、私の勝手でしょう」
「確かにそうだね、あなたがあなたの体をどうしようと勝手。なおの知ったことじゃないよ、興味もないし。ただ今はダメ。あなたの好きにはさせない、なおが、力づくでも」
「くすくすくす、言うわね。……ああ、そう言えば、あなたとはまだケリが着いてなかったかしら。あのときは引き分けといったところ? 今ケリを着けましょうか?」
「はぁ……別にいいけど」呆れた口調のなおちゃん。

二人がなにを話してるのか、わたしはわからない。あのとき? あのとき、って?

「ただ、ちゃんとお腹の赤ちゃんを産んで、体調戻してからがいいんじゃないかな。今のあなたヨワヨワのヨワ子ちゃんだもん。お姉ちゃんと……、それからお腹の赤ちゃんに感謝して。今は見逃してあげるって言ってるの」
「――――っっ」

なおちゃんの言葉で、きょうこの顔色が変わった。

「こんな、こんなものが……だから、私は、掛けたくもない迷惑を……、―――っっ」

なにか言いかけて、言葉を呑みこんだ。呑みこんで。それから。

「……ぁ――――――…………」

ぷつんと糸が切れるみたいに、きょうこは意識がどこかに吸い込まれるみたいになって。体を傾がせてカーペットに倒れた(寸前でなおちゃんが支えて、ゆっくり寝かしてくれた)なおちゃん、きょうこの様子を確認して「うん、破水とかの心配はないみたい」って……、それから、わたしに歩み寄ってきて。

「なおちゃん――」
「がんばってるね、お姉ちゃん。でも、お姉ちゃんも休まなきゃダメだよ」
「え、あ、でも。きょうこが」
「大丈夫だから。なおに任せて。いいからいいから」

帝都看護で同じ部屋で暮らしてた頃、毎日のように聞いてた、その言葉。魔法の言葉。

なおちゃん、わたしをソファに横にならせて、寝室からタオルケットを持ってきてくれて「ゆっくり休んでて。ひさしぶりに、なお、手料理振る舞っちゃうから♪」可愛くそう言うなおちゃんの言葉を聞きながら、わたしはたちまち眠りに落ちて―――

どれくらい眠ってたか。

実際は、たいした時間じゃないみたいだったけど、次に目が覚めたとき、わたしはずいぶん体がすっきりしてるのを感じた。

すごーくぐっすり寝てたからじゃない? ってなおちゃんは笑ってた。わたしが眠ってた数時間で、なおちゃんはそれこそ凄い働きをしてた。ちらかりまくってた家の中を片付けて(あ、きょうこは眠ったまま寝室に運ばれてた)栄養バランスに配慮した、でも見るからに豪華な料理を、わたしときょうこの二人分用意してて。

それこそ、魔法みたいに。

「すげー……ひさびさに思い知った。うちの妹のすごさ」
「お姉ちゃん、言葉遣い……あ、これ言うのひさしぶり」

わたし達は顔を見合わせて、笑った。そして、なおちゃんは表情を改めて、

「――でも、お姉ちゃん。なおが手伝えるのは、ここまでだから」

淡々と、でも、ちょっと寂しそうになおちゃんが言う。

「お姉ちゃん、これまでがんばったんだもん。最後まで、お姉ちゃん自身ががんばって。うん、そうだね、あの人と力を合わせて。それでも足りないときはいつでも呼んでね。そしたら、なお、宇宙の果てからだって飛んでくるから」
「なお、ちゃん……っ」

わたし、たちまち、うるるっ。

それから。きょうこが起きる前に帰るってなおちゃんを、それ以上、引きとめることはできず。わたし、家の前までお見送り。ありがとってお礼を言って、またねってお別れの挨拶。そしたら、なおちゃん、

「あのね、いつきさんのおかげでもあるんだ」
「いつきさん? なんの?」
「なおがここに来た理由。そろそろ顔出そうとは考えてたけど、なおの読みじゃ、お姉ちゃんはもうちょっと頑張れるはずだったから。でも、いつきさんから連絡あって『たぶん、ヌケ子より先にきょうこが潰れる、あたしは面倒だから行かないけど様子見に行ってやってくれ』って」
「うわー……そうなんだ……」
「なおのアンテナ、お姉ちゃん以外のことは拾わないから。反省、もっと感度上げなきゃ」
「妹がやる気だっ?」
「んー……とりあえず、お姉ちゃんちに仕掛けてる盗聴器の数を増やして――」
「えええっ!?」
「じょーだん。そんなものに頼るほど、落ちぶれちゃいません。じゃあね」

ちっちゃく(可愛く)手を振って、なおちゃんは歩いていった。一度歩きだしたら、もうこっちには振り返らずに。わたしは、なおちゃんの後ろ姿に、なにか声を掛けようかなって思ったけど、やめておいた。なんだか、それはするべきことじゃない気がして。

少なくとも、今、するべきことじゃない気がして。でも、いつかって思った。

それにしても。

(なおちゃんがわたし用のアンテナあるみたいに、いつきさんにもあるんだなぁ)

そんなことを、わたしは思って。で、家の中に戻ると、もうきょうこが起きてて、リビングのテーブル、なおちゃんが作ってくれた料理が並ぶテーブルに着いて、なんだか憎い敵でも見るような目で睨んでた。

「あ、きょうこ」
「帰ったのね、あの腹立たしい小娘」
「……なんて言い草だ」

なおちゃんの悪口を言われたわたしは、本気でちょっとムッとして、

「そこまで言うなら、なおちゃんが作った料理はいらないってことでいいんだよね? いいよ、わたし一人で食べるから。たくさんあるからなー、食べきれるかなー。まぁ余ったら近所におすそ分けしたらいっかー」

そしたら、きょうこは、はっきりわかるほど頬を赤くして、

「たっ……食べないとは言ってないでしょう。食べるわ。私は別にほしくなんてないけれど、お腹の赤ちゃんのためだもの。仕方なくね。どうせ、味なんて期待できないでしょうけれど、無理やりでも食べなくては――」

きょうこの言葉に、数時間前の振る舞いを思い出した、わたしは。

「お腹の、赤ちゃん……」

沈んだ声で言ったら、きょうこは珍しく、ほんとに珍しく。

「さっきは……どうかしていたわ。……ごめんなさい」
「わたしに謝る必要はないよ。ただ」
「わかってる。産まれてきた子にもちゃんと謝るわ。もう、おかしなことはしないから」

素直だった。驚くくらい素直だった。ううん、当然か。あんなに自分で産むことにこだわったきょうこなんだから。たぶん、自分でもショックを受けてるはず。わたしはきょうこの言葉も思い返してた『こんなものがいるから、掛けたくもない迷惑を』

前半部分は忘れるとして(忘れるの得意)、きっと、それが。きょうこの本心で。

だから。

「そうよ……、別に食べたくないけれど。赤ちゃんのため――――」

そこまで言ったとき、きゅるるるるーって音がしました。
お腹の音。
お腹の虫が鳴く音。
わたしのじゃなく。
……どっからどう聞いても、きょうこのお腹から。

「あら、ずいぶんお腹が減っているようね、あすかは」
「いやいや、無理だから、そのごまかし!」
「…………ふん」なんて、そっぽ向いてるし……、しょうがないなぁ。

だから。
食べよ、ってわたしは言った。
笑顔で。
きょうこには久しぶりに向ける気がする笑顔で。まっすぐに、きょうこを見て。
そしたら、きょうこは、

「………………………………………………………ええ」

きょうこは、ちいさく頷いてた。

それにしても、つわりで苦しむ妊婦の胃袋すらねじ伏せるなんて、さすがなおちゃんの手料理です。わたし達は黙々と食べた。自分で作ったどんな料理も、渋々、苦々しい顔で食べてたきょうこなんて、解き放たれた野獣みたいに食らってた。そして、わたしはそんなきょうこを見ながら、なおちゃんが言ったことを思い返してた。

“――お姉ちゃん自身ががんばって。あの人と一緒に”

(でもさー、なおちゃん。どうすればいいのか、わかんないよー><)

だって相手はきょうこです。
猛獣です。
包丁で刺してきます。

そして、大量に用意されてたメニューが、ほとんどなくなった、食事の終わり頃。

(ほっぺた引っ叩いて、わたしについて来ーいとか関白宣言やってみる?…………命懸けだけど)

ええ、それは命懸けです。対きょうこでは。でも、やるしかない……か。なんて、わたしが内心ひそかに悲壮な決意を固めてると。

「――――て」

ポツンと、小さな、きょうこの声が聞こえた。
え? と見ると、きょうこはサラダのお皿を顔の前にかざすみたいにして、自分の顔を隠して。
わたしの視線から隠れるみたいにして。
その向こうから、消え入るような、小さな、小さな声で、言った。

「……私を支えて。私を助けて。これから、お願い」

酷い話だけど。
まず、わたしは耳を疑ったし、もっと言えば、――きょうこは、どこかで頭打ったのかな? って思った(酷い)
だから「え、なに?」なんて、間抜けな聞き直しをして。

きょうこはお皿の向こうで、壮絶に「ちっ」って舌打ちして。イライラ全開にして。

すぐに、もじもじするみたいな空気になって。

「ずっと…………ごめんなさい。あなたが……、あすかが必要よ。私には」

それは。

本心からの反省が滲んでて、でも、ちょっぴり悔しそうで。それから――わたしへのなんだかくすぐったくなるような感情が見え隠れしてて。

可愛い声。わたしは、びっくりして目を見開いて。それはもう限界まで見開いて。きょうこの声を聞いてた(あのときの、信じられないって顔は一生忘れない、とあとできょうこは言ってた。拗ねた顔で。だ、だって、ねえ)

それは、本当の言葉で。じわじわと、じわじわと、わたしはそれを理解して。

きょうこはお皿の向こうから、ちらっと顔を覗かせて。こっちを見て。

……で。

その言葉を聞いたわたしがどうなったか、ですが。
とりあえず。
そのとき食べてたリゾットの塩加減が……、やけにしょっぱくなっちゃったことだけは、お伝えしておきましょう。うん。

えへへ。

*****

「ようするに、感動して大泣きしたのでしょう、あすかは」
「うわぁ、はっきり言われた!」

愛娘・さくやちゃんの身もフタもない言葉に、わたしは悲嘆。

夜、二階の自室で寝る準備をしていた、わたしの部屋にやってきた彼女にせがまれて。きょうこが妊娠してた頃の話をしてあげてました。なんで聞きたがったのかは、わかりません。……あ、うちのさくやちゃんも、もう高校二年になってます。

立派に育っちゃって……。うう。

それも胸とか。とっくに、とっくに、この母以上に! ううう……。

「わかったわ、そこからきょうこのデレ期がはじまったのね」
「や、デレ期と言いますか……なんと言いますか……まぁ、そうかな」
「いいわ。それであすか、話の続きは?」
「え?」わたし、きょとん。
「え、じゃないわ。私を妊娠してから、産まれるまでの話をしてと言ったはずよ」
「あー、でも、そっから先は順調順調だったよ。劇的なことは、別に」
「聞かせなさい。そういう話だったでしょう」

有無を言わせぬ迫力は、もう覇王の風格。

わたし、若干気圧されながら――(※註・いちおう、わたしが母親です

「だ、だって普通だよ普通。さくやちゃんが――」
「“ちゃん”は禁止」
「……さくやが産まれるときは、わたしも分娩室に入ってさ。きょうこの手を握ってがんばれがんばれって励まして。きょうこは『ひっひっふー!』って、がんばってくれて」
「――ふっ、ラマーズ法ね」意味もなく、どーんと言うさくやちゃん。
「ま、まぁね」
「そう。仕方ないわね、微に入り細に入り聞こうと思ったのだけれど」

まぁいいわ、と情状酌量してくれる、さくやちゃんです。ほっ。
だって、ここまでだって、結構な長話で。
去年から病院で看護主任なんてやってるわたしは、だいぶお疲れなんです。いや、ほんと。
ちなみに、きょうこはいつきと飲みに出かけてます。夜の街へ。今夜も。
………………いいんだけど。

「でも、さ」

わたしはさくやちゃんに言う。

「なんでまた、聞きたくなったの? そんな話」
「前に話を聞いたときは、あすかがきょうこに子作りを提案したところまでだったでしょう。機会があれば、続きを聞こうとは思っていたわ。それが延び延びになっていただけよ」

さくやちゃん、いつもの澄まし顔。
うーん、母ながら見惚れます。
まぁだって、…………きれいなんですもの。

「それに、部屋に来た理由はそれが目的じゃないわ。今の話は、ついでよ」
「へっ? そうなの?」
「本来の目的は、これ――。これを見せようと思ったの、あすかに」

そう言って。
さくやちゃんは話を聞いてる間中、軽く後ろに回していた片手をわたしに向けて、差し出した。
その手には、指先には、二つ折りになった一枚のプリントが挟まれてて。

さくやちゃん、わたしに向けて手を伸ばす。

どきん、と心臓が鳴った。

「………………………………………………………」

予感があった。

わたしも手を伸ばす。二つ折りのプリントを受け取る。
手の中で、開いた。
―――そう、予感があった。あったんだ。いつからか。この瞬間を。

 

『進路希望調査票』

『第一希望:帝都看護専門学校』

 

「反対、しないでしょう?」

静かなさくやちゃんの声。そんなのしないよって、当然、答えたはずだった。でも、わたしの声はぜんぜんちっともちゃんとした声にならなかった。肩がひくひく震えてしかたなかった。視界が滲んでしかたなかった。

「やっと、あなたに追いつけるわ。――あすか」

優しくて、静かな、さくやちゃんの……さくやの声。そして、わたしは。

「――――――……っ」

たとえば、もしここに“リゾット”があったなら。
やっぱり、塩加減が盛大にしょっぱくなりすぎていただろう……って思います。
……照れ。

だって、それもこれも、ぜんぶ愛の力。

 

 

そしてまた、きらめく星のように、わたし達は。

(終わり)































「あっ、そうだ! わたし、帝都看護の教員めざそうかな」
「あすかが……私の先生に?」
「うん、さくやが入学するまでに――。どうかな。わぁ、楽しそう!」
「却下、却下よ。大却下。…………そんな、恥ずかしいこと」

大却下されました。残念。

(ほんとに終わり)

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